
祝辞
ヨーロッパ音楽の根
海津時比古
ヨーロッパ文化を、宗教、とりわけキリスト教を抜きにして考えることができないのは、自明の理と言ってもいいほど、確かなことだろう。音楽文化に関しても、グレゴリア聖歌はもとより、バッハを代表とするバロック期のカンタータや受難曲、さらには後期ロマン派のブルックナーや現代のメシアンに至るまで、宗教が底に太い川となって流れ続けている。
ところが、不思議なことに、本来、ヨーロッパで生まれた宗教というものは、無いのである。もちろん、各民族に古代宗教はあった。すなわち、ケルト人、そして彼らを西ヨーロッパに追ったチュートン人、また東ヨーロッパに展開したスラブ人ともに、宗教は持っていたが、それらはアニミズム的なもので、組織立った宗教として発展してはいかなかった。そして、それらはすべて外来の宗教と混淆し、やがて、外来の宗教が中心となって文化を形作り始めたのである。
たとえば、1世紀から4世紀にかけてローマ帝国を席捲したミトラス教は、ペルシアを起源とするものである。そして、その後、ローマ帝国から全ヨーロッパに流布したキリスト教は、言うまでもなくパレスチナ地域に起こったものである。
実は、西洋音楽、通常クラシックと呼ばれている音楽を支える楽器に関しても、似たようなことが見て取れる。何よりも、ヨーロッパの音楽の大きな基礎となるポリフォニーを形作った楽器、リュートは、その起源をアラブに持つものである。また、ヨーロッパの音楽の論理、感性を最も多彩に表現する演奏形態として特徴的なのはオーケストラであろうが、そこに含まれている個々の楽器を見ると、それらが必ずしもヨーロッパで生まれたものではないことが分かる。たとえば、オーボエはインドに起源を持つし、クラリネットやバスーンの祖先はエジプトに見られる。ハーブは古代オリエント、フルートも中東から伝わったものである。
これらのことは、何を意味しているのだろうか。それは、その地に生じることと、文化として発展することとは、別である、ということであろう。
日本でヨーロッパの音楽にたずさわる私たちは、往々にして、かたくなな本場主義に取り込まれ、日本に育ってはクラシック音楽を極めることはできない、と思いがちなところが、いまだに見受けられる。しかし、ヨーロッパの文化の根幹を成す宗教も、音楽も、もとをただせば、その基礎となるものを輸入して発展させてきたのである。決して純粋培養されたのではなく、さまざまなものが輸入され、混淆し、琢磨されることによって、大きな文化的成長を遂げたのである。
このことは、我が国の文化としての音楽を考えるうえで、貴重な示唆を与えてくれているのではないだろうか。植物のように根がはえているところだけに文化が“根づく”と考える“植物主義的思考”を一掃し、同時に、純粋培養への志向とも訣別して自信をもって輸入、混淆、そして輸出を楽しむべきであろう。もともと、空中を自由に伝播する音は、根をもって固定しているものではないのだから。
今年のアマチュアオーケストラフェスティバルは、世界青少年オーケストラフェスティバルと、全国アマチュアオーケストラフェスティバルが合同した形で、「国際アマチュアオーケストラフェスティバル」として行われる。カナダナショナルユースオーケストラの約100名、ドイツアマチュアオーケストラ連盟の約10名をはじめ、19カ国の青少年、アマチュアが大交流して演奏会を行うのである。
これがどれほど意義深いことであるか、その理由は上に述べた通りである。ゲスト・コンサートマスターとして、元イスラエル・フィルのモーシェ・ムルヴィッツ氏も来日する。短期的にも長期的にも、成果が楽しみである。
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